東北の大震災から、5年目です。ちょっと真面目なことを書きます。
私的なことを書けば、私はエロゲ業界に入るまでの前職では、土木業界に務めていました。短期間ですが、防災行政に関わる仕事もしました。そこでつくづく痛感したのは、防災には限界がある、ということ。主に、技術面と予算面において、です。
21年前の震災の時や5年前の震災の時は、私はたまたま被災地から離れていましたが、この国に生きるからには、必ずいつか災害に見舞われると覚悟しています。その意味で、私は運命論者です。
そして、人事を尽くしても救えなかったものたちを、どうやって慰め癒やすのか。
5年前の震災直後に発刊された雑誌に、劇作家の鴻上尚史さんが書いたコラムが掲載されていました。
原文が手元にないので覚え書きになりますが、その内容は、震災の夜、夜空は星がとても綺麗だった、と。被災地からそれを見上げていた人達は、口々に、亡くなった方たちが星になって夜空に昇ったんだと話していた、という物語です。
鴻上さんは「今、私たちに必要な物語はこのようなものです」と書き、「そして、5年後、10年後には、それぞれに語られるべき物語の形があるはずです」と記していました。
私は、よくこの文章を思い返します。
5年目になった今、語られるべき物語とは、何なのか?
実は、私なりにそれを考えながら創った作品もあります。思いつきですぐに作品ができあがるわけではありませんから、書く時は数年後の未来に向かって物語を作らねばなりません。時にそれは、時代の行く先が見えずに的外れな作品になってしまうことだってありますし、書いている最中は、こんな時期にこんな不謹慎なものを書くなんて、と詰られる事もあります。
幾つか書いて、幾つか作ってみましたが、うまく時代に合ったなと思う物もあれば、全く的外れで失敗作になった物もあります。いずれの作品も、まだ未発表か、ああかむの名前では出していないものではありますが。
今日発売される雑誌の書評コラムにも、震災を扱った物語が幾つか掲載されていました。そのどれもが、5年前なら、4年前なら、3年前なら語られなかったであろう物語です。
私も、その内の幾つかを買って読もうと思います。